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西安の旅 (その4 ~歴史編)

西安(かつての長安)は数々の歴史的舞台となった街だ。

長安の絢爛たる文化の中心となった長安城。ここを中心に大小の路地が碁盤の目のように走る。四方を囲む全長約12kmの堅牢な城壁が威容を誇り、中心には鐘楼、鼓楼が鎮座する。
中心から少し離れた東郊外には始皇帝陵、兵馬俑、楊貴妃で有名な華清池。西方面には「項羽と劉邦」で有名な劉邦(漢の初代国王)の墓などがある。
周辺には、インドから伝来した仏教が翻訳され育まれた大雁塔、小雁塔。遣唐使空海が密教を体得した青龍寺などがある。

今回の旅で特に印象に残ったのは、華清池、兵馬俑、長安城城壁、青龍寺だ。

華清池は白楽天の「長恨歌」でうたわれた楊貴妃と玄宗皇帝のロマンスの舞台だ。水墨画に出てくるような幽玄な岩山のふもとにお湯が滾々と湧き出る温泉別荘。玄宗皇帝はここで楊貴妃と出会い、以後政治へのエネルギーが奪われ、楊貴妃との世界に籠もっていく。
池が丸ごと温泉になったような露天風呂から楊貴妃専用のお風呂まで、大小幾つもの風呂があり、山から下りてくる朝もやが幻想的な雰囲気を醸し出す。ここで美女と戯れ、最高のお酒と食事に囲まれたらエネルギーが薄れるのも当然か。

華清池は時代変わって1936年再び歴史の舞台となる。国民党と共産党の対立が激化し共産党が劣勢の最中、国民党党首の蒋介石がこの華清池で軟禁され、8か条の要求を突きつけられた。蒋介石は殺害されずに済んだものの、この事件により国民党と共産党は休戦、後の国共合作へと連なっていく。劣勢だった共産党が息を吹き返したのもこの事件なので、歴史的な転換点だったと言える。
今でも蒋介石が入った風呂や寝室などが残っているが、事件の朝、静寂な華清池に銃声が鳴り響き、それで蒋介石は異変に気付いたという。

兵馬俑は約2200年前、秦の始皇帝の墓に副葬された巨大な兵馬群だ。実際の人や馬を殉死させる代わりに、墓に向かって6000体以上の等身大の人や馬の像が埋葬されている。そのおびただしい数、一体一体異なる表情、精巧な作りはまさに仰天もの。当時の皇帝の権力の強大さと死後を怖れる気持ちがひしひしと伝わってきた。

長安城城壁は街の中心の東西南北を四角く囲む、周囲約12キロ、高さ12メートルの威風堂々たる城壁。西安のシンボルだ。城壁の上にあがって自転車や徒歩で1周することもできる。街を一望でき、古都西安の全体像をつかむには最高だ。
今回は西の入り口「安定門」に行ってみた。安定門はかつてシルクロードの玄関であり終点でもある。安定門の路地裏にはイスラム街があり、今でもここには西欧交易の起点として様々な人種がぶつかり合った面影が残っている。
私は安定門の上で当時世界最高峰のきらびやかな文明を頭の中で想像してみた。

青龍寺は西安中心部から少し外れた東南方向の静かな高台に位置する。遣唐使として派遣された弘法大師(空海)が密教を学んだお寺だ。緑が深く質素で機能的な作りのお寺。
当時の密教の名僧、恵果阿闍梨がこのお寺にいたため、空海は教えを請うべく中心部から移り住み、ここで修行に励んだ。天才空海は師匠から驚くべきスピードで密教の奥義を習得し、後継者に指名される。直後に師匠の恵果阿闍梨が死去した事を考えると、2人のこの一瞬の出会いはまさに奇跡的。インドで興った密教が大陸を越え日本に伝わったのはこの出会いによるのだ。
日本人観光客が多いので、今では空海記念碑や空海記念館も建っている。

三国志の中で、長安は隣の洛陽と共に魏の本拠地にあたる。晩年の諸葛孔明は度重なる出陣で長安を目指したが結局辿り着くことができず最期を迎えた。

西安(長安)は中国の古代から中世にいたるまでの歴史を作り出してきた街。その後歴史から姿を消したが、今でも世界一の文明を創り出した誇りが感じられる。再び西安が歴史を動かす日は来るのか、それとも大いなる田舎のまま終わるのか、今後の西安が楽しみだ。
# by nihao-zaijian | 2007-05-12 09:21 | 旅、散歩

西安の旅 (その3 ~グルメ編)

2日の朝5時過ぎに西安駅に着いたあと食べた朝食が美味しかった。
市内中心部の細い道に入ると、各店の前に大きな鍋、湯気がたちのぼり、いい香り。
鍋の中身は中華丼のような具が入った少しトロミのあるスープ。味は中華丼より甘みが少なく少し酸味がある。これを丼に入れ、ラー油のような辛いタレをかけ、更に固いパンを自分で細かくちぎってスープに入れる。
口中やけどしそうな熱さを我慢して食べると、野菜や椎茸の香りと辛味と酸味が一体となってとても美味しい。汁を含んで柔らかくなったパンもgood。体の芯から熱くなり、朝から汗が吹き出てくる。値段は30円位。西安の朝食の名物だが、味も価格も大満足だった。

夜はツアーの人達(といっても私以外は中国人カップル2組の4人)と北院門街という屋台の名所へ行く。300メートル位の道の両脇がびっしり屋台。まずは名物の羊肉・牛肉の串焼き(シシカバブの肉を小ぶりにした感じ)を食べる。5人で60~70本位の串が出てきて壮観だったが、皆ペロリ、女性もよく食べる。これまた名物の梅ジュースもすっきりした味わいでなかなか美味しい。
それから、トコロテンのような透明の麺、ココナッツの粉を固めた蒸し焼き団子、辛い野菜スープなどを食べた後、西安餃子の人気店「徳発長」へ行く。人気店だけに店員の態度は悪いが、餃子の入ったせいろを20段ほど積み上げて次々運んで来る光景に喉が鳴る。味も期待に違わず、じわっと口中に溢れ出す肉汁の美味しい事!、皮も薄皮ながらもちっとした歯ごたえが気に入った。

翌日朝はイスラム街を散歩、肉まん、お粥、お汁粉風、腸詰スープ、大阪焼きのような卵をおとしたお好み焼き風、等々沢山の屋台があって地元の人達で賑わっていた。
昼はツアーで用意されたレストランで一般的な中華料理をだったが、これがまずい。(安い)ツアーで連れて行かれるレストランは悉く美味しくない事がよくわかった。
それにしても西安の庶民レストランはどこに行っても騒々しい。まず店員が注文されたメニューを書かずに忘れてしまうから、厨房から出来上がってくる度に大声でメニューの名前を連呼しながら各席の間を回っている。当然ながら注文をよく間違え作り直しに時間がかかり客と喧嘩になる。北京に比べて客の声が大きい。

夜は岐山面という麺に挑戦。中国の麺類発祥の地とも言われる西安の名物である。腰のある麺にケチャップ風の甘みと唐辛子の辛味と酸味がまざったタレがかか、モヤシや青菜、椎茸などの野菜がのっている。色々な香辛料が入っているのか複雑で奥深いタレと豊富な具は今まで食べた事のない味。麺はやわらかいのに噛み切れにくいのが特長。値段も安く庶民の栄養源だ。
# by nihao-zaijian | 2007-05-09 22:29 | 旅、散歩

西安の旅 (その2 ~鉄道編)

行きは北京西駅から西安まで12時間、特急の旅だった。

北京西駅は北京駅よりも新しい駅で最大規模。駅とは思えないほどデカい。何故こんなに大きいのか、幾つか理由があるようだ。
鉄道は日常的に使うものではないので、たまに乗る時は余裕をもって早く来る(飛行機に乗るように2時間前には到着している)。持っている荷物がやたらと大きい。乗り換えの接続が悪いので待ち時間が多い。出発がよく遅れる。以上の理由により、待合室を大きくしないと人が溢れてしまうため、必然的に駅も大きくなってしまう。
材料や部品在庫が滞留した工場みたいなものである。

中国の鉄道の座席には、硬座・軟座・硬臥・軟臥の4タイプがある。「硬」は読んで字のごとく硬くてリクライニングもない色気のないシートの意味。「軟」は柔らかい心地良いシート。「座」は椅子。「臥」は寝台を指す。今回の私の席は「硬臥」なので硬くて狭い寝台車。しかも3段ベッドの真ん中という外れ席。真ん中の段は高さがないためベッドで起き上がることもできず、寝るしかない。しかも幅が狭い上、私の身長だと足も伸ばせないのでとても窮屈なのだ。学生時代には「軟臥」で快適な旅をした事があったが、今回は旅費を節約したのでやむなし。

夕方出発したが、だいぶ日が長くなっているので、しばし車窓からの風景を楽しむ。北京の郊外を抜けると、ひたすら畑と草原。地平線が見える位の大地にちょうど夕陽が落ちてきて、それはそれは見事な光景。
ところどころに民家が集積し、石造り平屋は昔ながらの中国人の生活を偲ばせる。
それにしても延々と続く広大な畑。中国人、更には日本人の胃袋まで満たしているのだから当然か。日没ぎりぎりまで農家の人達は精を出していた。

特急とはいいつつ、先頭の電気機関車が各車両を引張る方式なので、加速は悪い。ただゆっくりと速度を上げていく姿は逆に重厚感があった。車両も20両ほどあり、日本の特急より迫力がある。

車内では服務員のおばちゃん達が切符の確認、洗面用具の販売、弁当の販売などで回ってくる。無愛想でサービスも悪いが、壁には「お客様に最高のおもてなしを!」みたいな標語が貼ってある。真逆だ。洗面所を占拠して乗客そっちのけでおしゃべりに興じていたり、歯ブラシくわえたまま車両を巡回したり、まだ日本の国鉄時代にも届かない。

日が暮れて暫くは本を読んでいたが、他にやる事もないのでベッドに入る。窮屈なあまり、夜中何度か目が覚めたが、翌朝5時過ぎに無事西安に到着。あっという間の鉄道の旅であった。
# by nihao-zaijian | 2007-05-08 23:07 | 旅、散歩

西安の旅 (その1)

5月1日から4日まで古都、西安に行ってきた。昔から行ってみたかった街。
今回は北京からのツアーに参加。ツアーといっても、メンバーは若いカップル2組と私の計5人。中国語ができない私で大丈夫か不安を抱えながらの出発だった。

初日は北京西駅でツアーの集合。色々説明してくれた内容は殆どわからず、とりあえず電車の切符を確実に受け取り待合室で待機。夕方発、成都行きの列車に乗り、寝台車両で約12時間。翌日(2日)の朝5時に西安駅に到着した。

その日はかの有名な兵馬俑、楊貴妃が玄武帝を虜にした華清池、始皇帝の地下宮殿を再現した秦陵地宮を回る。午後に西安市内につき自由時間。一人で小雁塔へ。夜はカップル2組と共に北院門街という屋台がずらりと並んだ繁華街に出て、名物の羊肉・牛肉の串焼き、涼麺、超有名店「徳発長」の西安餃子などを食べる。

翌日(3日)は殆どフリー。早朝からイスラム通りなど城内西部をぐるぐる散歩した後、長安城の城壁を、かつてシルクロードの玄関だった西門(安定門)から登り、南門まで街を見下ろしながら延々と歩く。
午後は城内の中心部に位置する鐘楼・鼓楼、遣唐使として派遣された空海が密教を学んだ青龍時などを見て、夕方は城内東部を探索。夜は近くのホテルのバーでライトアップされた城壁を眺めた。

4日は省の歴史博物館、三蔵法師で有名な玄奘三蔵ゆかりの寺院大雁塔、抗日運動の起点となった革命公園、市内の中心街を回り、夜、西安威陽国際空港から北京に戻った。

今回の旅行はとにかく歩いた。かつて空海が長安の町を歩き回ったように、この街を体で感じるべく歩いた。3日間で50キロは歩いたのではないか。
唐の時代まで世界最先端の絢爛たる文明と国家を創りあげた西安。しかしその後1000年もの間歴史から姿を消したかのごとく停滞した街。
歴史遺産の素晴らしさとは裏腹に、現状に甘んじ、鋭利で尖った感性を忘れ、普通に毎日を楽しく生きる普通の庶民の街でもあった。何もそれが悪いわけではない。ただ世界最高峰の文明を誇った街ゆえに、今なお輝いていて欲しいという思いは残った。

スケールが大きく街路樹の緑が美しい街、人がごったかえす騒然とした街、歴史の街、中国の歴史を学ぶには最高の街、人の表情が豊かな街。私の西安の印象だ。

詳しい旅行記は追って書こうと思う。
# by nihao-zaijian | 2007-05-07 22:07 | 旅、散歩

旅行の手配

先日GWの旅行手配のため旅行会社に行った。無事ツアーの手配とチケットの予約ができたが、まあ何と時間のかかること・・。

ホテルや鉄道の空き状況がオンライン化されていないため、全て電話での確認となる。例えばホテル予約をお願いすると、旅行会社の人がいったんホテルに電話を入れて、こちらの人数と日数を伝える。その場ですぐに返事はなく、後ほど折り返し電話となる。その電話が(たかが空き状況の確認なのに)30分位経たないとかかってこない。

ツアーの予約も全て電話確認。帰りの航空券の手配に時間がかかり1時間以上待たされた。私は先に帰って後ほど電話連絡で済ませたいところだが、予約できた時点で現金で支払わなければならないので、結局遠くに行くこともできず待ちぼうけ。

まあ日本のスムーズなシステムは出来すぎで、これが標準だろう。
旅行は中国では成長産業、サービスの改善余地も大きいので、幾らでもビジネスチャンスがありそうだ。
# by nihao-zaijian | 2007-04-30 21:37 | 生活